まだ市民団体だったころ初めての活動・・・2000年の冬ここからみらネットは始まりました

ニューヨークにあるホロコーストメモリアルから
戦時下で笑っている
どもたちの写真54枚を
借りて親
で話し合える写真展を開催しました。
戦争という過酷な環境の中でも毎日の生活が
あり、笑顔がある。その笑顔の向こう側にある
人々の苦しみや悲しみ痛みを理解する力を

身につけて欲しいと思いました。
それが他人の痛みを
理解し差別や「いじめ」を
なくすだけでなく平和を
願い築く力になると
信じての写真展でした。
2001年4月 「未来のどもたちへ・・・自分を大切にして生きるために」 講演会 参加者130名
性教育の第一人者でカナダ国民栄誉賞を授与されたメグ・ヒックリングさんをお招きし、
どう
どもたちに性教育を教えたら良いのか?教える側であるおとなの為の性教育
講演会と、女性と
どものエンパワメント関西所属・田上時子さんの「教えて時子さん
どもの人権ってなぁに?」の2部構成の講演会でした。

2001年7月 「未来のどもたちへ・みんな皆ちがっていい!ひとり1人を大切に」参加者2000名

皆違っていい・・民族・習慣・言語が違う!
人は違う!それで良いんだ!一緒に過ごす生活
の中から体感でき実感できたらという思いで7つの国と
地域44名の
どもを招き龍ケ崎のどもたちと
国際交流を行いました。
44名の
どもたちを引き受けて下さった
ホストファミリーの方々本当に感謝です。
そして国際交流の一部はNHK「おはよう日本」で
放映されました。

2001年10月~(全6回)DV・虐待支援カウンセリング講座  講師:高見沢玲子さん定員30

2002年  3月「命をかたりつぐつどい」 参加者600名
第1部 市内在住の石川清登さんが、舞台上に
   用意された炬燵で
どもたちに満蒙開拓
   青少年義勇軍時代の戦争体験談を時に
   ユーモアを交え話してくださいました。
   その他人間紙芝居、歌と音楽
第2部 アニメーション「えっちゃんの戦争」上映
2002年5月「いじめ・差別なんでなくならないの?」参加者350名

関西芸術座公演ひとり芝居、在日オモニの身の上話
「身世打鈴」の上演後、
どもたちが差別やいじめに
ついて女優新屋英子さんと座談会をしました。

2003年10月どもに寄り添うども専用電話受け手スタッフ養成講座 全12回研修 定員30名
2004年4月18までのどもが掛けるども専用電話 チャイルドライン毎金曜14時~21時常設開始
2004年に開設してから毎金曜に電話を掛けてくるどもたちのアクセス
は約23万件、その内3割弱約7万人の
どもたちの声をこの10年間で
聴いてきました。この電話は、18歳までの
ども専用電話です。
どもが誰かと話したいと思っている時どんな事でも耳を傾ける>
そんな
どもの為の専用電話です。でも本当は、見ず知らずの人に
話さなくていい「目の前にいる人に話せる」そんな環境が
どもたちに
あって私たちの電話なんて必要ない事が良いなぁ~って思うのです。
2004年 4月~「不登校・ひきこもり当事者支援・家族支援の会」開設
2004年12月「2004どもの権利条約フォーラムin取手」6歳~18歳までのども参加者1200名
2005年7月独立行政法人福祉医療機構育て支援基金」助成事業児童虐待カナダ研修&開設
その他の活動
2004年~2006年茨城県家庭教育支援総合推進事業「思春期講座」開催
2005年NPO法人モバイル・コミュニケーションファンド
育て支援基金事業研修会開催
2007年茨城県人権啓発活動事業「問題のない私たち」いじめについての映画上映
2007年茨城県ひきこもり当事者社会参加支援事業「ひきこもっている僕から」講演会

どもの人権・どもの現状など、講師としての講演会やネット・携帯モラル学習会講師等
どもたちへの災害支援
2004年10月   新潟県中越地震―山古志村のどもたちへ
私たちみらネットは、どもたちが避難所で毎日どうしているのか?
なかなか繋がらない電話で山古志村の知人にたずねました。
避難所生活の
どもたちは、遊ぶ事もなく、毎日おとなたちに怒られない様に
過ごしているとのことでした。そこから、私たちは仲間に声を掛け、
どもたち
への支援物資を集めて(特にトランプが欲しいとのコト)また、こんな時だから
こそ綺麗にリボンでラッピングをして、1000人分作って山古志村に届けました。
2011年3月11日   東日本大震災―仙台のどもたちへ

あの日のテレビから見た光景は、今この日本の地球上で起きている出来事なのか?
受け入れ難い状況でした。なにかせずにはいられない!そんな間に声を掛け、

どもたちへの支援物資作りが始まりました。
同じ思いの方々から毎日凄まじい数の物資が事務局に届き始め、その数51、770点毎日毎日
届く物資で事務局は足の踏み場も物資を置く場もなくなり、仕分けだけでも何日もかかりました。
そして
どもたちへ手渡す為の>ラッピング作業は夜を徹し1ヶ月程掛かり、ようやく準備ができたのは、
まだ道路も普及していなく、支援者以外は立入り禁止の411日の事でした。
多賀城、宮城野、若林などの避難所を回り、被災した
どもたち約1万人へおもちゃ、文房具セット、
髪飾り、ハンカチやくし等、物資と共に皆の思いを届けました。

毎日本当にすごい物資が届いたよ!
リボンでラッピングして出来上がり!
毎日新聞に掲載されました。

5月5日避難所に柏餅を500個届け
どもたちと鯉のぼりを描きました。
避難所は春だというのに寒かった

兜のお煎餅
も届けたよ
多くの方から中古のピアニカを
協力して頂きました。皆で綺麗に
掃除して吹口は新品に替え100個
幼稚園に届けました。
写真中央のは、靴も流され避難所
に来た時、僕裸足だったんだよ・・・・
ホント全部流され何にもなくなっ
ちゃたんだよ・・・・と数ある物資の中
から、学校で必要だからと習字道具を
選んでいました。
どもたちへ
・カンボジア支援 ・どもたちへ災害支援
・生活が困難などもたちへの学習支援
(無料塾2014年4月開設)
カンボジア支援のはじまりは、市民団体だった頃からの仲間、今は天国にいる山屋浩三
仕事でカンボジアに住んだ縁から始まった。カンボジアに縁をつなげてくれた浩三君に感謝
プノンペン近郊タケオ州プレイアンパル小学校
日本から材料を持ち込んでの理科の授業
スライムづくりに初挑戦のどもたち。

文房具セット
150個と
画用紙クレヨン
折り紙などを
プレゼント
できたよ。

カンポット州ドムライロミエル小学校
  縄跳びに初挑戦のどもたち、すぐに跳べちゃうのがすごい!

文房具セット200セット
大縄跳び     4セット
ひとり縄跳び  200本

2013年の支援は
お米通学かばん&文房具
セット560個
くつ・サンダル300
縄跳び500本

カンボジア国民平均年齢は、
24
歳(2012年)
小学校の卒業率は、
62.1%(2008年)カンボジアには
孤児院が多いです。
貧困の為に親から捨てられ孤児に
なる事が多く、12人に1人が5歳に
なるまでに亡くなってしまう
のがカンボジアの
どもたちの現状です。